施設平面図
樫原本陣の現在の主屋は、寛政9年(1797年)に類焼した後、寛政12年(1800年)に再建されたものです。当時の様子を復元すると、東から正面にかけて土間が鍵型に配置され、その西に9室が3列に並ぶ平面となります。このうち、西及び正面寄りの各室は改造が少なく、中でも西列最奥の6畳は床を一段上げて造られた「上段の間」となっており、二の間・三の間が続き、これら3室は書院造りの構成となって本陣座敷としての体裁を整えています。
主屋のライブラリースペース兼レンタルスペース、お座敷スペースについては、音楽・トークイベントや座談会など、地域交流を目的とした共用スペースとしてのご利用も可能です(ご利用に関する詳細は お問い合わせ ください)。
図面ダウンロード
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※図面は、令和3年時点のものです。今後の改修などにより、掲載内容に変更が生じる場合があります。
外観・玄関
本陣の「乳門」の金具
その他諸大名が出入りした玄関門は「乳鋲(ちびょう)」で飾られ、「乳門」と呼ばれています。乳門から庭を抜け、三の間から入室していたとされます。
玄関・玄関の間
玄関から入ると土間になっており、玄関の間にある天井板には、当時の宿泊客である大名の名前を掲げる、筆太に書かれた「高松少将御宿」「松平伯耆守御宿」などの宿札が貼られています。玄関の間の右手にある部屋の上には、道行提灯を入れた玉村家の家紋の入った箱が並べられています。
大名の宿帳や関札といった、多くの古文書も残されています。
内観
上段の間
樫原本陣の現在の主屋は、内部の一部に大きく手が加えられています。当時の様子を復元すると、東から正面にかけて土間が鍵型に配置され、その西に9室が3列に並ぶ平面となります。このうち、西面・正面寄りの各室は改造が少なく、中でも西列最奥の6畳は床を一段上げて「上段の間」として造られています。二の間・三の間と続く3室は書院造りの構成となっており、本陣座敷としての様式を整えています。
「上段の間」の柱は全て茶室などに用いられる面皮柱が用いられ、欄間・床・違い棚を備えています。上段の間の横の二の間の左手は金色の襖になっており、有事の際には護衛が出てこれるための隠れ間も存在します。
主屋の後方には土蔵が配されており、これは棟札により明和3年(1766年)に建てられたことが判明しています。
書院造りの建築様式
竿縁天井(さおぶちてんじょう)
壁と天井のつなぎ目に「回り縁」という材を四方に取り付け、その上に「竿縁」を架け、さらにその上に天井板を乗せる構造の天井です。
差鴨居(さしがもい)
部屋を間続きにして開放的に使用するために、柱を省略して施される。梁と鴨居の両方の役割を担う、太くて力強い風格のある意匠です。
竹節欄間(たけぶしらんま)
竹の節状の繰形を立て、横木を通し、対角線状に襷(たすき)を入れたもの。寺院、貴族の邸宅などによく見られます。
歴史を語る設備・所蔵物たち
おくどさん
かつて炊事のために使われていた「かまど」が残っています。
「火迺要慎(ひのようじん)」の札
台所には、愛宕神社の火除けのお札が貼られています。
前室の神棚
室内にいくつか見られる神棚には、御稲
荷様などが祀られています。
江戸時代の銅鏡
樫原まちの本陣プロジェクトの「お片付け会」で発掘されたもの。豪華な装飾が施されています。
薬屋の看板
宿の業務停止以降、様々な商売を営んできた玉村家。薬屋としては、「資生堂謹製」「白雲膏」など商品の名前が記された看板が残されています。
造り酒屋の陶器瓶
これは造り酒屋「玉村酒店」としての「玉杯」というお酒の陶器瓶です。(桂)五四と、二桁の電話番号が記されています。
玉村家 家系図
玉村家のルーツを辿る家系図をはじめ、多くの歴史書・古文書が残されています。
参勤交代の帳面
役人や大名のための宿所だった樫原本陣。大名行列の際の帳面・文書が保管されています。
明治時代の新聞
古い襖から、当時の新聞などがそのまま貼られていた形跡が発見されました。