樫原本陣の歴史

樫原本陣年表

江戸時代中期〜後期

山陰道の樫原は、早くから宿場町として設備も整い、丹波・山陰寄りの物資の集積地として賑わっていました。徳川家光による参勤交代制度が始まると、この陣屋は樫原宿の本陣として、山陰道を参勤交代で往来する諸大名の宿舎となりました。

樫原本陣は、享保4年(1719)に当地の豪族であった廣田庄兵衛永帳が、京都所司代 板倉氏から依頼されて経営に従事したことから「頼まれ本陣」とも口伝されています。

慶長6
1601年

街道筋に宿場制度の施行

寛永11
1634年

徳川家光による参勤交代制度の実施

寛永12
1635年

本陣制度の実施

貞保2
1685年

宿場町として樫原の名前が記される

(京羽二重)

元禄6
1693年

東海道草津本陣開設

享保4
1726年

樫原本陣開設

(廣田庄兵衛門名集)

元文3
1738年

樫原宿に関する記録

  • 村所蔵の絵図に「方木原」の名前と集落部分に「町屋」
  • 山城名跡巡行誌に「旅宿茶店等有之」

(自治会所蔵)

明和3
1766年

樫原本陣 土蔵建築

  • 大工棟梁 川島村の幸助・喜介・傳四郎
  • 左官 京堀川下がる 丁 市兵衛

(棟札による)

寛政9
1797年

樫原本陣 土蔵建築

(玉村家 御大名様江御注進書并願書控)

江戸時代後期〜幕末

樫原本陣は、寛政9年(1797年)の大晦日に類焼した後、丹波・丹後・但馬の12藩などからの合力眼・拝借金を得て再建が進められ、寛政12年(1800年)4月14日には完成していたことが分かっています。安政2年(1854年)には、玉村新太郎正継が経営を継承し、今日に至るまで5代にわたり維持されてきました。

玄関の天井板には、筆太に書かれた「高松少将御宿」「松平伯耆守御宿」などの宿札がびっしり貼られており、大名の宿帳や関札など多くの古文書も残されています。

寛政12
1800年

4月14日 山家藩より「新築ご祝儀」

文化14
1817年

桂川満水のため三日間通行止め 大混乱

安政2
1854年

玉村新太郎正継 本陣継承

文久2
1862年

高松少将宿泊

(右上下御人数合578人。御馬合17疋)

『わけて難儀するはおびただしく諸具の失することなり。家具重箱四鉢ちょうし盃行灯燭台びょうぶ、たばこ盃の類限りなし。きせるなど50本出せば10本返すはまれなり。雨の振る時はござの紛失おびただし。ふとん衣類も油断ならず・・・」

(寺田屋事件・天誅組横行 民間省要)

明治時代〜現在

明治政府が樹立されてまもなく、樫原本陣は業務停止となりました。その後、宿場町としての歴史や文化は地元に受け継がれ、樫原本陣をはじめ、脇本陣、町家など、当時を語る古い建物は今も樫原の街並みに残されています。

平成4年には京都市指定文化財に指定され、2013年には樫原住民や有志とともに「樫原町家灯篭会」が発足。樫原本陣は、地域住民の方々が集い、楽しめる「まちの本陣」としての取り組みをスタートさせています。

慶応3
1867年

大政奉還

明治元
1868年

明治新政府樹立

平成4
1992年

4月1日 「玉村家住宅」京都市指定有形文化財 指定

『・・・伏見宿の本陣が現存していない今日、この住宅は市内で唯一残る本陣遺構であり、また樫原宿の近世町屋として評価される。』

平成25
2013年

樫原町家灯篭会 発足

令和2
2020年

まちの本陣プロジェクト 始動

令和4
2022年

一般財団法人 樫原本陣跡保存会 設立